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拓跋部の北魏は439年に華北を統一し

拓跋部の北魏は439年に華北を統一し、これ以降は南北朝時代となる。その後隋の楊堅により中国が統一されるが、楊堅は宇文部が立てた北周の外戚であり、自身も鮮卑の出身である可能性がある。同じく北周の貴族であった唐の李淵もまた鮮卑出身である可能性が考えられる。北斉の高歓については、漢化した鮮卑系の可能性が高いとされるが、鮮卑化した漢人という説もある。なお、北周の宇文部は鮮卑化した匈奴の一派と考えられ、テュルクの影響が濃く見られるという。

隋統一後の鮮卑族は漢民族に同化して行き、民族としてのまとまった動きは見せなくなった。また、金の代表格の詩人で官僚でもあった元好問は北魏の皇族の末裔だといわれる。

漢代の初め、匈奴の冒頓単于が東胡を滅ぼした際、その生き残りが烏丸山と鮮卑山に逃れ、それぞれが烏丸と鮮卑になった。鮮卑はしばらく匈奴のもとにいたが、匈奴が南北に分かれその力が衰えてくると、勢力を盛り返すようになった。

建武30年(54年)、鮮卑の大人(だいじん 酋長)の於仇賁(おきゅうほん)は部族民をひきつれて都洛陽にのぼって朝貢をし、光武帝から王に封じられる。
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永平年間に、祭肜(さいゆう)が遼東太守となると、鮮卑に誘いをかけ賂を送って、漢の命令に従わない烏丸の欽志賁(きんしほん)らの首を取らせた。

永元六年(94年)、鮮卑大都護の校尉蘇拔廆(そばつかい)は、部族民を率いて護烏丸校尉の任尚(じんしょう)に従い、南匈奴の反抗者たちを討伐した。その功により、朝廷は蘇拔廆を率衆王に封じた。

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2009年07月04日 03:00に投稿されたエントリーのページです。

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